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2017年03月11日

神奈川県弁護士会が朝鮮学校への補助金を出せと声明。

* 〈時代の正体〉朝鮮学校の子ども「心に痛手」 補助実施求め県弁護士会声明|カナロコ|神奈川新聞ニュース
神奈川県弁護士会(三浦修会長)は、県が留保・停止した朝鮮学校の児童・生徒への学費補助を速やかに実施するよう求める声明を出した。9日付。県の対応は学習権を保障する憲法や国際人権諸条約に違反する恐れが大きい上、子どもたちに重大な悪影響を与えたと指摘している。
県は、朝鮮学校を運営する学校法人神奈川朝鮮学園に求めた教科書改訂が行われていないことを理由に2016年度の補助を留保、17年度分は予算計上を見送ったが、声明は一連の対応を問題視。学園に権限がないにもかかわらず改訂に固執する県の理不尽さを指摘し、「(憲法で保障された)学習権を侵害し、国際人権規約や人種差別撤廃条約、子どもの権利条約に違反する恐れが大きい」としている。
さらに、補助対象となっている外国人学校のうち朝鮮学校のみ特別扱いする差別性▽私学の自主性尊重の原則に反して教科書改訂を求める不当さ▽教育を受ける権利を尊重するための補助制度を子どもと無関係な筋違いな理由で自らゆがめる矛盾を列挙。結果、朝鮮学校の児童・生徒が「経済的損害のみならず、日本社会から疎外されたという大きな心の痛手を被っている」と深刻な影響に言及している。
声明文は以下の通り。
【神奈川県に対し、神奈川朝鮮学園に通う児童・生徒への学費補助を行うことを求める会長声明】
神奈川県が2016年度の交付決定を留保している、県内の朝鮮学校5校を運営する学校法人神奈川朝鮮学園(以下「学園」という。)に通う児童・生徒に対する「外国人学校児童・生徒学費軽減事業補助金」(以下「学費補助」という。)について、黒岩祐治神奈川県知事は、2017年2月8日、2017年度の当初予算案に計上しないことを明らかにした。その理由について、学園に通う児童・生徒に対する学費補助は学園が使用する教科書に拉致問題を明記する改訂がなされることが前提となっていたにもかかわらず教科書の改訂ができない状態が続いていることを挙げている。
しかし、学園で使用している教科書は、全国の朝鮮学校の教職員等で構成された教科書編纂委員会が作成しているもので、学園単独で改訂できるものではない。
学園は、2012年度をもって学園に対する運営費補助金が打ち切られてから、拉致問題について独自教材を用いて授業を行い、神奈川県職員の見学まで認めている。また、その独自教材については、神奈川県が拉致問題に関する記述が明確になされていると評価するものとなっている。それにもかかわらず、教科書の改訂に固執し学費補助の予算計上をしなかった神奈川県の対応は、朝鮮学校に通う児童・生徒の学習権(憲法第26条第1項、同第13条)を侵害するおそれや、我が国が批准する国際人権規約(自由権規約・社会権規約)、人種差別撤廃条約及び子どもの権利条約に違反するおそれが大きい。
また、他の外国人学校に通学する児童・生徒に対する学費補助については教科書の記載内容が問題とされたことはなく、学園に通う児童・生徒に対してのみ教科書の記載内容を理由に学費補助を行わないのは、学園に通う児童・生徒に対する差別として憲法第14条に違反するおそれが大きい。
さらに、県が教科書の記載内容を学費補助の条件とすることは、私学の自主性の尊重をうたった教育基本法や私立学校法の趣旨に反するといわざるを得ない。
そもそも、運営費補助金の代償として2014年度から開始された学費補助は、従来交付されていた運営費補助金よりも低額にとどまるという問題こそあれ、子どもたちには国際情勢・政治情勢に左右されることなく安定的に教育を受ける機会を確保したいという趣旨で始められたもので、子どもの教育を受ける権利や教育における機会均等・財政的援助・文化的アイデンティティの尊重等を実質化する重要なものである。学園に通う児童・生徒は、拉致問題についても教科書改訂がなされていないことについても何ら責任はないのであり、補助金を交付しないことはこの学費補助制度の趣旨に反する。そしてその結果として、学園に通う児童・生徒は、十分な学費を受けることができないという経済的損害のみならず、日本社会から疎外されたという大きな心の痛手を被っている。
神奈川県は、多文化共生、国際交流を重視し、学園とも長年信頼関係を築いてきた。当会は、神奈川県に対し、これまでどおり人権を擁護する基本姿勢を維持すること、現在留保している2016年度の学費補助の速やかな実施及び2017年度の予算案への計上を求めるものである。
2017年(平成29年)3月9日
神奈川県弁護士会
会長 三浦修
色々と一方的に主張を述べてるが、其の中身で法的な意味合いを含ませてるが、肝心な事を完全に無視して居ます。
私学助成は憲法違反で在るのと同時に、敵性国家でも在る北朝鮮の学校に対して、公金投入する意味は一切無い。
そんなに困ってるならば在日本朝鮮人総聯合会にでも泣き付けば良いでしょう。
此方が筋で在る。
posted by 天野☆翔 at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | Society | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

辺野古基地移設反対派が活動再開。

* 辺野古移設反対派、座り込み再開 米軍キャンプ・シュワブ(1/2ページ) - 産経WEST
沖縄県選出の野党国会議員や地元議員が11日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先とされる名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、移設を阻止するための座り込み活動を再開した。政治の場に加え、市民が抗議する現場で共に声を上げる決意を表明した。今後、毎週土曜日に活動するという。
 集まったのは「止めよう辺野古新基地建設!議員団」のメンバー約40人。2015年3月に県議や市町村議を中心に100人で結成した。昨年3〜12月末まで工事が中断したため活動を中止したが、工事再開に伴い再結集した。
 事務局長の比嘉京子県議が「できる限り現場に足を運び、私たち一人一人に歴史を動かす力があることを確認していこう」とあいさつした。
伊波洋一参院議員は、9日に市民団体から辺野古移設に反対する約121万人分の署名を受け取ったと報告。「国会にいると辺野古移設問題が全国の問題になっていると実感する。県民は辺野古移設に反対だと強く訴えたい」と話した。
 この日は工事車両がシュワブ内に入るのを妨害しようとした女性が、県警機動隊とのもみ合いで転倒し、救急搬送される場面も。議員団と市民計約70人がゲート前で「弾圧をやめろ」「辺野古新基地建設は許さない」と抗議の声を上げた。
普天間基地の危険除去の為のキャンプ・シュワブの辺野古基地移設を妨害する反対派の活動が再開されました。
早速公務執行妨害が確認される等、其の実態は平和的では絶対に無く、矢張りテロリズムに満ちた中身で在る。
posted by 天野☆翔 at 22:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | Society | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

海外での東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から六年目の追悼。

* 【東日本大震災6年】「がんばれ」と日本語でエール 台湾でも追悼式典 台北で80人が黙祷  - 産経ニュース
東日本大震災から6年となった11日、台北市内の日本台湾交流協会台北事務所で「追悼感恩会」が開かれ、日台の関係者約80人が犠牲者に黙祷(もくとう)をささげた。
 震災で台湾からは約200億円に上る義援金が寄付された。交流協会台北事務所の沼田幹男代表(駐台大使に相当)は「台湾は心と心がつながった特別な友人だ」と改めて謝意を表明。台湾の対日窓口機関、亜東関係協会の邱義仁会長は「震災という不幸の中で、台日間の人々の感情(の交流)が想像を超えて深いことが発見できた」と応じ、復興に向け「がんばれ」と日本語でエールを送った。
 式典には、総統の諮問機関「国家安全会議」の呉●燮秘書長らも参加した。
 一方、この日は台北など3カ所で、蔡英文政権が掲げる2025年の脱原発目標の具体化を求めるデモも行われた。
●=刊の干を金に
台湾では台北市の日本台湾交流協会台北事務所で追悼感恩会の中で黙祷を捧げられました。
又、蔡英文総統はTwitterにて如何の様に御見舞のお言葉を出されました。

* 【東日本大震災6年】アルメニアでも追悼式 1988年の大地震震源地で - 産経ニュース
アルメニアで1988年に約2万5000人の犠牲者を出した大地震の震源地となった北部スピタクで11日、東日本大震災から6年の追悼式典が開かれた。参列した約100人が犠牲者を悼み、早期の復興を祈った。
 在アルメニア日本大使館によると、東日本大震災でアルメニアは50万ドル(約5700万円)の支援金を送った。田口栄治大使は式典で支援への謝意を表明し、両国が地震国であることを踏まえ「防災協力を深めて、災害に強い社会を築きたい」と語った。
 アルメニア側から出席したトノヤン非常事態相は式典後の昼食会で、88年の大地震で日本が救援隊を派遣したことなどに感謝し「日本は地震が多い国だが、克服しており、尊敬している」と述べた。
* 【東日本大震災6年】豪、NZで追悼行事 邦人も参加、舞踊披露 - 産経ニュース
オーストラリアのシドニーやニュージーランドのクライストチャーチで11日、東日本大震災の追悼行事が行われた。シドニーでは東北出身の被災者も参加し約百数十人が地震発生時刻に黙祷(もくとう)。被災地の子どもをオーストラリアに招く支援をする邦人団体「レインボー・プロジェクト」が主催した。
 「生きる幸せをこれほど感じたことはない」。津波で祖母を失い、昨年7月からシドニーに住む佐々木芙美さん(26)=宮城県東松島市出身=は被災経験を初めて公の場で語った。震災で亡くした日本舞踊の恩師への思いを込め舞踊を披露。福島県の白河だるまなどの特産品も紹介された。
 2011年2月のニュージーランド地震の被災地クライストチャーチでは、同地震と東日本大震災の犠牲者追悼の桜が周辺に植えられた国連の「平和の鐘」で、ダルジール市長が「東北地方の人々と市民の心は常につながっている」とあいさつした。
アルメニアやオーストラリア、ニュージーランドでも追悼慰霊の式典行事が開かれ、黙祷を捧げられた。
感謝の念に堪えません。
posted by 天野☆翔 at 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | International | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から六年目。

六年前の本日14時46分18.1秒に未曾有の巨大地震が発生し、東日本の大半に甚大な被害が出ました。
亡くなられた方々には改めて、謹んで心から哀悼の念を表し御祈り申し上げると共に、御遺族関係者の皆々様方には、謹んで心から御悔みと御見舞いを申し上げます。
* 【東日本大震災6年】「教訓忘れることなく、防災意識を高め、災害から多くの人々が守られることを希望します」 秋篠宮さまのお言葉全文(1/2ページ) - 産経ニュース
6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
 この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。
 東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。
 様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。
東日本大震災 六周年追悼式では、秋篠宮文仁親王殿下と文仁親王妃紀子殿下が御臨席為され、追悼慰霊のお言葉を述べられました。
* 平成29年3月11日 「東日本大震災六周年追悼式」における内閣総理大臣式辞 | 平成29年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

 本日ここに、文仁親王同妃両殿下の御臨席を仰ぎ、「東日本大震災 六周年追悼式」を挙行するに当たり、政府を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 かけがえのない多くの命が失われ、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から6年の歳月が流れました。

 最愛の御家族や御親族、御友人を失われた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、被災された全ての方々に心からお見舞いを申し上げます。

 被災地に足を運ぶ度、震災から6年を経て、復興は着実に進展していることを実感します。インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。しかしながら、今なお12万人の方が避難され、不自由な生活を送られています。

 被災者の方々お一人お一人が置かれた状況に寄り添いながら、今後とも心と身体のケアや新たな地域社会の形成など、復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、更に復興を加速してまいります。

 同時に、震災による大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を、常に顧みながら、英知を結集して、防災対策を不断に見直してまいります。政府一丸となって、災害に強い、強靭な国づくりを進めていくことを、改めてここに固くお誓いいたします。

 震災の発生以来、地元の方々の御努力を始め関係する全ての方々の大変な御尽力に支えられながら復興が進んでまいりました。日本各地のみならず、本日ここに御列席の世界各国・各地域の皆様からも、多くの温かく心強い御支援を頂きました。改めて、心より感謝と敬意を表したいと思います。

 東日本大震災の教訓と我が国が有する防災の知見や技術を世界の皆様に役立てていただくことは我々の責務であり、今後、防災分野における国際貢献を一層強力に進めてまいります。

 我が国は、幾度となく国難と言えるような災害に見舞われてきましたが、その度に勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて前を向いて歩んでまいります。

 御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の式辞といたします。

平成29年3月11日
内閣総理大臣 安 倍 晋 三
安倍晋三内閣総理大臣は東日本大震災六周年追悼式に於いて、追悼慰霊の式辞を述べられた。

あの未曾有の被害を出して仕舞った東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から六年目が経過しましたが、被災者並びに関係者一同には遅かったのか早かったのかは、当事者のみが知る処なので何とも云えませんが、復興を成し遂げて一日も早く笑顔で過ごせる日々が来る事を心から切に願います。

posted by 天野☆翔 at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | Affairs/Accident | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

小泉純一郎には理解出来無い事。

* 小泉純一郎元首相「どうかしている。発想がわからない」 安倍晋三政権の原発輸出政策を批判 - 産経ニュース
小泉純一郎元首相は8日付でインターネット上に配信された情報サイト「AbemaTV」のインタビューで、安倍晋三政権が成長戦略の柱に掲げる原発輸出について「どうかしてる」などと批判した。
 小泉氏はインタビューで「原発に頼らないで太陽、風、地熱、水力、潮力、さまざまな自然エネルギーを使って経済発展させるほうがはるかに安全でいい国になる」と述べ、原発ゼロの持論を展開。その上で、原発輸出について「どうかしてるよ。安全でもないのに。その発想がわからない」と非難した。
 安倍首相が原発政策を変更する可能性について「もうここまで行っちゃってるんだから無理だろう」と指摘。首相に原発政策の転換を促したと明かした上で「(安倍首相は)苦笑してるだけだった。反論はしてこない。安倍さんも信じちゃってる」などと述べた。
 一方、自民党の半数程度が内心では小泉氏の持論に賛成しているとした上で「首相が『やる』といえばできる。国民だって支持する。(小泉氏が断行した)郵政民営化よりも原発ゼロの方が簡単だ。郵政民営化は全政党反対だったんだから」と主張した。
世界的には温室効果ガスの案件で、二酸化炭素等の気体を排出する火力発電の抑制化が叫ばれてる中での原子力政策は極めて有用。
日本国内での原子力発電所の事故を国外に当て嵌めようと画策するから無理が生じる。
自然エネルギーの活用も限界が在るのは既に世界各国で証明されてる事情を無視してるのでしょう。
政権担当当時は強力に推進して来た過去をスッカリと掌返しする其の姿勢には大いに批判されて然りでしょう。
内閣総理大臣経験者で在る一般人の影響力を行使しようとは言語道断で在る。
こんな意識だからこそ、全く理解出来無いのでしょう。
posted by 天野☆翔 at 05:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | Politics | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

野党四党とマスメディアに拠って潰された森友学園。

* 【森友学園問題】安倍首相スキャンダルと印象操作の観あり 昭恵夫人の活動を攻撃するのは卑怯 八幡和郎氏(1/2ページ) - 産経ニュース
国有地が格安で売却されていたとして、学校法人「森友学園」(大阪市)の小学校用地をめぐる問題が国会の焦点になっている。同学園が運営する幼稚園の教育内容まで取り沙汰されているが、核心はどこにあるのか。評論家の八幡和郎氏が論点整理した。
 森友学園の問題が、野党や一部マスコミからやり玉に上がっている。さまざまな問題がゴッチャに扱われ、安倍晋三首相をめぐる得体の知れないスキャンダルだと印象操作されている観がある。
 私はここの教育方針に何の共感もないし、一連の経緯に解明すべき問題はあるとは感じるが、きちんと問題を整理して議論すべきだと思う。
 第1は、学校法人としての認可につき、大阪府では「アンチ私立学校傾向」にある教員組合などの影響で厳しかった。そこに、他の府県ならば認可されるが、従来の大阪府では認めていなかった案件が出てきたので、大阪府が他府県なみに認可するように基準を変えたのだ。そんなに怪しげなことではない。
 第2に、国公有地の払い下げは、価格が妥当だったか精査する必要はあるが、疑惑かどうかはそれからの問題だ。騒音対策で買い上げた土地を公益目的で使いたいというなら払い下げるのはおかしくなく、やや安めであっても不自然ではない。
 そもそも、国公有地を公益目的なら安く売ることは、広汎にされているし、保育所の問題などで推進する声も強い。私は「大幅な値引きは不明朗でよくない」という主張で、朝鮮学校への安値売却にも反対してきた。今回の問題を攻撃してきた人たちが、他のケースにおいても安値売却に反対してきたとも思えない。
政治家の関与も、鴻池祥肇元防災担当相が陳情を受けたとか、「安倍事務所に出入りしていた」人物が動いていたというだけだ。  第3に、教育勅語を正面に立てた教育が批判されている。教育勅語は明治20年ごろ、西洋化と伝統的価値観の調和のために作成された。時代的背景を踏まえ妥当性があったが、明治末期には「時代遅れ」とされ、西園寺公望文相が、国際性や女性重視を加えた新しい勅語の制定を申し出て、明治天皇の了承も得ていた。
 それが、明治天皇の崩御で改正の機会を失い、逆に大正や昭和を通じて不磨の大典化されてしまって弊害も多かった。
 戦前のようなかたちで復活することは論外だが、中国の古典や老舗の家訓と同じで間違った内容ではない。私立学校などで、どういう扱いをしようが勝手だ。
 第4に、昭恵夫人が4月開校予定の小学校の名誉校長だったとして、安倍首相まで攻撃されている。ただ、昭恵夫人は沖縄県・辺野古に行ったり、反原発派など環境派と交流したり、韓国に融和的だったり、安倍首相とズレがあるポジションで行動してきた。
 私は、極端でなければ首相夫人が少し違うポジションで活動してもいいと思うが、好ましくないとの議論はあるだろう。
 それなら、左の方にエールを送れば「家庭内野党」ともてはやし、右に寄れば「首相の意を受けたもの」と攻撃するのでは卑怯(ひきょう)だ。
此の記事が示す通り、森友学園は野党四党とマスメディアの執拗な攻撃で潰されました。
問題の無い事を問題が在るかの如くの論調で過激化して行き、塚本幼稚園の保守的な教育内容が曲解され問題を大きくした。
自虐史に満ちた教育を受けて来た極めて大きな弊害が如実に表れてるのです。
朝鮮学校や公立でも日本教職員組合や北海道教職員組合の様なヨサクの教育内容には一切言及せず、又、朝日新聞や読売新聞等の国有地の格安の払い下げ等、マスメディアは完全に無視し黙殺してるのです。
極めて卑怯且つ狡猾な攻撃です。
個人的には殺意さえ覚えますが、関係者一同には猛省を促す。
posted by 天野☆翔 at 04:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | Society | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

小さな春。

満開の菜の花 満開の菜の花。
満開の梅の花 満開の梅の花。
杏の蕾は開花直前 杏の蕾は開花直前。
既に河津桜は満開に成って居ますが、菜の花や梅の花は満開状態で、杏は蕾が未だ未だ多く、開花直前の状況でした。
春の足音も接近して来て居ますね。
posted by 天野☆翔 at 00:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

飛行第七〇戦隊熊谷兼一軍曹戦死之地に参拝。

陸軍軍曹熊谷兼一戦死之地碑文 陸軍軍曹熊谷兼一戦死之地碑文を正面から。
陸軍軍曹熊谷兼一戦死之地碑文2
陸軍軍曹熊谷兼一戦死之地碑文3
* 本土防空/熊谷兼一
碑文
(前略)昭和十九年十二月二十七日、西南太平洋より侵入したボーイングB29の編隊は十二時三十分〜十四時の間、富士山・八王子を経て帝都上空に達し爆撃を開始。これを撃墜すべく飛行第七十戦隊の各隊は迎撃したが、戦果少なく、これを見た熊谷軍曹機は一殺必中の体当りを敢行し編隊の一機に猛然と突撃、一機を炎上撃墜し、自らの搭乗機も大火に包まれたが眼下の市街地を避け、亀戸七丁目の工場跡地の沼地に墜落、水没した。
これを目撃していた大勢の住民は直ちに機体の掘り起こしに当ったが湧水が激しく遺体並びに機体の発掘を断念し、この身を犠牲にし多くの都民を救った行動に感動し、東京都庁に申請、時の東京都長官・陸軍大将西尾寿造殿より直筆の書を戴き、戦死之地の碑を多くの住民により建立されたものである。
戦後東京都が当地に恒久住宅を建設する前に遺体を収容すべく建設業者と有志が一体となり発掘に当り、昭和四十五年二月十二日遂に機体の部品及び遺体を収容することができました。二十五年もの間、沼地深く眠っていた熊谷軍曹の永遠のご冥福をお祈りいたしました。
昨日は東京大空襲から七十二年目で有りましたが、東京の地をB-29の爆撃から身を挺して守った飛行第七〇戦隊の熊谷兼一軍曹の戦死之地に参拝して来ました。
改めて謹んで心から哀悼の念を表し御祈り申し上げます。
posted by 天野☆翔 at 00:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | 更新情報をチェックする