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2015年09月22日

プラザ合意から三十年目。

* 【プラザ合意30年】為替環境は激変 「円高」に苦しむ日本 協調脅かす中国人民元(1/3ページ) - 産経ニュース
ニューヨークのプラザホテルで、日米欧5カ国がドル高是正で合意した「プラザ合意」から22日で30年を迎えた。現在、米連邦準備制度理事会(FRB)は年内にも利上げに踏み切ってドル高を容認しようとしている。一方、日本は「円高アレルギー」に苦しみ続け、中国は国際協調を脅かしてまで人民元相場を操縦しようとする。世界の為替をめぐる動きは激変している。
 「プラザ合意後、円高に対して常に拒否反応が起きることが日本の大きな問題点だ」
 BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミストはこう言い切る。
 ドルと金との交換を停止した1971年のニクソン・ショック、73年の変動相場制移行、そしてプラザ合意−。日本は「円高時代」に導かれた。
 当時の米国は財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」を抱え、米議会では保護主義が台頭。プラザ合意により、円相場は1年で1ドル=240円から150円台に上昇した。
 政府・日銀は財政出動や金融緩和で経済を下支えしたが、行き過ぎた緩和政策はバブル崩壊、「失われた20年」へとつながった。
 2011年3月、東日本大震災が発生すると無秩序な動きが広がった。直後に開催された先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁による緊急の電話会議は、約10年半ぶりの協調介入を決めた。しかし、円安は一時的にとどまり、円相場は同年10月に1ドル=75円台の戦後最高値を更新した。
翌年、第2次安倍晋三政権が誕生し、日銀は13年4月に「大規模金融緩和」を導入した。国債を大量に買って市場にお金を流せば、企業はお金を借りやすくなって投資し、企業業績が改善すれば賃金や消費も上向く−というのが主眼だが、円の流通量を増やして円の価値を下げ、円安を誘導する思惑も見え隠れする。
 アベノミクスは円安・株高を招くなど「一定の成果をもたらした」(証券系アナリスト)。ただ、既に多くの企業は海外に生産移転していたため、輸出は伸び悩んだままだ。
 河野氏は「日本は高度経済成長が終わった1970年代以降、輸出依存型の社会から脱し、サービス産業などを強化して内需を増やすべきだった。『円高アレルギー』はもうやめよう」と唱える。
× × ×
一方、米国の貿易赤字を生み出す主役は日本から中国に代わった。
 中国は、人件費の安さを武器に「世界の工場」として急成長。2000年代には人民元安も対米輸出の急増に拍車をかけた。14年の米国への輸出額は日本の3・4倍の約4680億ドルで、米貿易赤字のうち対中国が半分近くを占めた。
 もっとも、最近の中国経済は減速を強める。8月には人民元の対ドル相場を事実上切り下げ、世界の金融市場を混乱させた。
 中国人民銀行(中央銀行)は「対ドルレート相場の基準値を前日終値などを参考に見直した結果」(人民銀)と強調した。国家戦略として掲げる「人民元の国際化」をアピールしたい目的もあるようだ。
全国銀行協会の佐藤康博会長(みずほフィナンシャルグループ社長)は17日の記者会見で、「為替市場への直接介入は避けるべきだというコンセンサスができた」と述べ、プラザ合意30年の意義を強調した。
 ただ、市場では「人民元切り下げはプラザ合意の精神を無視し、輸出増を狙った元安誘導」との批判がある。日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁も15日の記者会見で、「(市場への資金の流出入を制限する)資本規制の撤廃・緩和が(人民元)国際化には不可欠の条件だ」と述べ、中国当局にくぎを刺した。
* 【プラザ合意30年】当時の関係者は語る 大場智満元財務官、行天豊雄元大蔵省国際金融局長(1/6ページ) - 産経ニュース
1985(昭和60)年9月22日のプラザ合意から30年。当時財務官だった大場智満氏と大蔵省国際金融局長だった行天豊雄氏が産経新聞のインタビューに応じた。
◆大場智満元財務官−「米大統領は『強いドル』なんだな」
−−円高が見込まれたプラザ合意に合意した背景は
 「不安定だった基軸通貨のドルの安定が世界経済に重要だったことが一つ。もう一つは日米関係。日本は米国に安全保障を依存することで経済に専念できていた。だが、米国の深刻な貿易赤字の大部分が対日貿易であり、貿易摩擦を解消する必要があった」
 −−プラザ合意当時、政府はどの程度までの円高なら容認できると考えたか
 「竹下登蔵相(当時)も私も、200円は割ってもいいという感じを持っていた。でも実際には、それ以上の円高になった」
 −−声明の策定作業で意見がぶつからなかったか
 「合意の1週間前の1985年9月15日、日・米・西独・仏・英の5カ国の蔵相代理がロンドンに集まって、文案を1日で書き上げた。ただ、蔵相抜きで全部やっては悪いと思って、『ドルを弱くする』とのフレーズや、西独を貿易黒字国として規定する表現、介入問題をどうするかは、22日の蔵相会合に託した」
−−結局、ドルの部分は「非ドル通貨の秩序ある上昇が望ましい」と
 「ベーカー財務長官(当時)が、大統領に持っていくとき、『弱いドル』では許可が下りないと。やはり米国大統領というのは、『強いドル、強いアメリカ』なんだな。だから、円と欧州通貨が強くなることが望ましいと変えた」
 −−協調介入の話は、いつから持ち上がったのか
 「85年にベーカー氏が財務長官になってから潮目が変わったかなという印象でね。リーガン前長官はメリルリンチ出身で、自由市場があるべき姿で、介入には反対だったから」
 −−それにしても、よく合意まで秘密が保たれた
 「米国に向かう当日、竹下氏はゴルフ場からゴルフウエアで空港に来て、日銀の澄田智総裁も、風邪と言って予定をキャンセルし、マスクまでしていた。後で自民党首脳から『会議前に知っておきたかった』と怒られたが、米国もレーガン大統領など4人しか知らなかったようだ。思えば、5カ国だからできたのかもしれない」
  −−振り返って、日本経済にとってプラザ合意は何の契機になったか
 「円が強くなり、海外への直接投資、企業進出が進むきっかけになった。日本の人件費が高くなった状況で、円が高くなったから、海外に生産拠点を作り、製造しないと他国に対抗できないと考えられたようだ」
−−現在は中国が米国に対して大幅な貿易黒字で、米国から人民元高を求められている。プラザ合意は今に通じるテーマだ
 「中国は当時の日本が、どう米国に接したかにすごく関心を持っていた。日本の金融市場自由化を明記した84年の『日米円ドル委員会』の報告書のことなども勉強してますよ。でも、中国が当時の日本と違うのは、核保有国で強大な軍事力を持っていること。それを踏まえて、今後の立ち位置を決めていくのではないか」
◇ ◇ ◇
◆行天豊雄元大蔵省国際金融局長−「政府・日銀は円高是正に終始」
−−プラザ合意をどう評価するか
 「(金とドルとの固定比率での交換を停止した)ニクソン・ショックに比べ、国際金融情勢の観点からみれば、それほどの重大事とまではいえないと思う。制度そのものを変えたわけではないからだ。米国が貿易赤字をどうやって解消するかという利害から出た話。国際協調の観点から、日米独などの先進国が為替相場の他に何ができるかを考える余裕があればよかったが、それはなかった」
 「後になって貿易自由化や構造改革の話が出たが、当時は決め手がなく、一番やりやすい為替相場をいじった。日本の立場からすると、居心地のよかった円相場から過度の円高ドル安に振れ、あれほど大きな政治問題になってしまった。日本も貿易収支の不均衡を是正するために米国に協力したが、その対応の結果、バブル崩壊や長期デフレに結びついた」
−−日本経済へのマイナス影響のみが取り上げられやすい
 「良かった面と悪かった面がある。良かった面としては為替相場は変動しやすく、思うように操作できないという認識が高まった。また、個々の企業が円高でも競争力を保とうと努力したことだ。一方、為替相場はファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)を反映した結果と認識されず、政府や日銀は円高をどう是正しようかということに頭がいっぱいになっちゃった」
 −−具体的には
 「内需を増やすためには、金融緩和しかなかった。しかし、株価が暴落したブラックマンデー(1987年)で引き締めができなくなった。日本からみればそんなに大した話ではなかったはずだが、当時は世界大恐慌が始まったと過剰反応した面はある。その結果、締め遅れてバブルが大きくなり、破裂の影響も大きくなった。後に締めすぎてしまったので、90年代以降の経済の長期低迷につながった」
 −−グローバル企業が競争力を培った面はあるか
 「そりゃ、そうでしょうね。ただ、どういう形で国際競争力を維持するかについては、いろんなやり方がある。コストカットするのか、価格競争を捨てて値段は高くても売れるものを作るのか、あるいは輸出を捨てて内需にシフトするのか−。結果的に、当時の日本の企業はコストカットしたり、工場を海外に移転したりした。80年代後半はアジア地域への生産移転が活発化した。ドイツの企業は非価格競争力を強くした。それも一つの生き方だ」
−−円高のスピードはどうして急だったのか
 「そもそもスタート時点の円安の度合いが他の通貨に比べて大きかったという見方は多い」
 −−日銀は現在、大規模金融緩和に取り組んでいる
 「正しいか正しくないかという視点から言えば、正しい金融政策。円高は是正され、低迷していた株価が上がったからだ。ただ、残念ながら国際的な経済環境は良くないので、当初の狙いである国内の消費や投資を増やして経済成長を高める段階まではいたっていない」
 −−中国の景気減速が世界市場を混乱させているという指摘がある
 「中国の爆買いを資源国が当て込んだから、資源価格が急騰した。一方、資源消費国は価格高騰で苦しんだ。今は資源安なので消費国が恩恵を受け、資源国が困っている。みなそれぞれの立場で利害がある」
 −−人民元の切り下げについて国際協調の点から批判された
 「私も中国の真意が分からない。善意に解釈すれば、だんだんと市場水準に近づけようという意思。かなり元高だったことも事実だ。一気に相場を自由化させるわけにいかないので、少しずつ市場実勢に近づけるという措置にもみえる。国際通貨基金(IMF)もそう思っている」
 「ところが、中国側はマーケットに対して十分説明できなかった。善意の意図が受け入れられず、相場を操作したと受け取られた。経済の減速も重なって、中国当局の意図せざる結果になってしまった面もあるのではないか。国内の混乱を避けるため、非常に慎重に取り組んでいるという印象だ」
−−中国が人民元の国際化を進める一方、円の国際化の話はあまり聞かなくなった
 「現在は、日本の経済規模が大きくなることは考えづらく、あきらめというか、そういう認識。まあ昔も、円の国際化議論は政府主導だった。民間企業は是が非でもという感じではなく、貿易決済の円建てもそれほど進まなかった。一方、人民元は決済通貨や各国の準備通貨としてどれほど使われるかが今後の課題だ。さらに、上海市場で元取引がどれほど大きくなるか。だんだんと元の利用が広がるのであれば、それにふさわしい地位が与えられる」
 −−年内にも予想される米利上げの影響は
 「個人的には市場が懸念するほど大変なことが起こるとは思わないし、市場もある程度は織り込んでいる。金利をわずかに上げたぐらいで世界的な混乱が起きるはずはない。むしろ、米国がいつ金利を正常化するのか分からない状態の方が市場の不安定さを増す。ただ(金利引き上げ後)、投機筋が大量のお金を動かしてもうけようとするので、市場が動揺する可能性はある」
秘密裏に主要五箇国に拠ってドル高是正が議論されたプラザ合意から、本日で三十年目を迎えました。
当時の日本は列島改造論で内需拡大の動きを加速させ、金融緩和が進められて来たが、此のプラザ合意で緊縮への動きは在ったが、結局は其の着手が大幅に遅れバブルが弾け、結果円高への動きが加速し、国内の財政は非常に厳しい状況に成った。
此の結果失われた二十年が到来し、今に至る。
円高が是正される方向性に動く事には成ったが、国内の生産拠点は国外に流出し、内需拡大への足枷に成った事は否めないが、国内回帰が進めば改善する兆しを見せ始める事でしょう。
過去に何度も在った市場混乱の動きは、以後幾つかは在ったが、嘗ての大規模な混乱は無く、各国の努力で踏み留まった。
今後市場は支那の動きを警戒する方向性に為るが、どう動くのかは極めて不透明で見通しは立たない。
此のプラザ合意が齎した市場はどう云うもので在ったのかの総括は未だ出来る状況では無く、暫くは静観の動きかとも思う。
posted by 天野☆翔 at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | Economy/Business | 更新情報をチェックする
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