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2017年08月13日

陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑に慰霊追悼。

陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑の全景
陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑の全景です。
陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑 陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑の本体。
陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑文
陸軍軍曹熊谷兼一戰死之地の碑の右側に設置されてる碑文です。

* 本土防空/熊谷兼一
碑文
(前略)昭和十九年十二月二十七日、西南太平洋より侵入したボーイングB29の編隊は十二時三十分〜十四時の間、富士山・八王子を経て帝都上空に達し爆撃を開始。これを撃墜すべく飛行第七十戦隊の各隊は迎撃したが、戦果少なく、これを見た熊谷軍曹機は一殺必中の体当りを敢行し編隊の一機に猛然と突撃、一機を炎上撃墜し、自らの搭乗機も大火に包まれたが眼下の市街地を避け、亀戸七丁目の工場跡地の沼地に墜落、水没した。これを目撃していた大勢の住民は直ちに機体の掘り起こしに当ったが湧水が激しく遺体並びに機体の発掘を断念し、この身を犠牲にし多くの都民を救った行動に感動し、東京都庁に申請、時の東京都長官・陸軍大将西尾寿造殿より直筆の書を戴き、戦死之地の碑を多くの住民により建立されたものである。
戦後東京都が当地に恒久住宅を建設する前に遺体を収容すべく建設業者と有志が一体となり発掘に当り、昭和四十五年二月十二日遂に機体の部品及び遺体を収容することができました。二十五年もの間、沼地深く眠っていた熊谷軍曹の永遠のご冥福をお祈りいたしました。

* 神鷲 陸軍軍曹熊谷兼一戦死之地 慰霊碑  都営亀戸七住宅内 - YouTube

B-29に突撃し自らの命と引き換えに撃墜した陸軍の軍曹の熊谷兼一氏には、謹んで心から哀悼の念を表し御祈り申し上げます。
posted by 天野☆翔 at 15:22 | Comment(0) | Diary | 更新情報をチェックする
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