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2019年05月21日

信長の家臣の話が朝鮮日報で取り上げられた。

* 米国で関心高まる黒人サムライ「弥介」-Chosun online 朝鮮日報
16世紀、信長に仕えた黒人武士
ハリウッドでは映画に…生涯を取り上げた本はベストセラー

 戦国時代の16世紀に初めて「黒人のサムライ」として活動した「弥介」(生没年不詳)という人物が、歴史・文化商品としてクローズアップされている。
 米国CNNテレビは20日、「2020年東京オリンピックを前に日本の多文化史が再評価されている」として、弥介のケースを紹介した。日本大学のトーマス・ロックリー専任講師は最近『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』という伝記書を出版し、ベストセラーになった。ハリウッドでは『ヤスケ』という映画を製作することになり、『プラックパンサー』の主演俳優チャドウィック・ボーズマンが主役に決まった。
 弥介は、天下統一の基盤を固めた織田信長(1534−82)の側近の中で唯一の外国人だった。弥介はアフリカのモザンビークもしくはスーダン出身で、幼いころから奴隷兵士として育てられてきたと推定されている。奴隷貿易の拠点だったアラブとインドを経由し、ポルトガル人宣教師の警護役として1579年に京都へ入った−と記録にある。黒人を初めて見た信長は、身の丈6尺2寸(約188cm)の弥介を豊穣の神「大黒天」と考えて宣教師から献上を受け、さらに「肌の墨」を落としてみようとしたという。
 信長は当初、弥介を道具持ちとして使っていたが、弥介が西欧式の戦術に明るく、かつ日本の剣術・武芸や日本語もすぐに習得するのを見て、わずか2年で侍の称号を与えた。弥介の存在は、信長に抵抗する競争相手や忍者にとって恐怖の対象になり、実際に幾つか武功も立てている。
 外国の文物に多大な関心を抱き、開放的な人物だった信長は、弥介に家と奴婢(ぬひ)を与えて重用したという。信長が明智光秀に裏切られて「本能寺の変」(1582年)で切腹した際には、自らの首と刀を息子に渡すことを弥介に任せた。弥介は、自分を再び奴隷として売り渡そうとする光秀を避け、一時は主君のいない「浪人」として流れ歩いたと伝えられている。
 CNNは、ロックリー講師の話を引用して「弥助が活動した当時、九州地方にも朝鮮人や中国人、欧州人、インド人など外国人が大勢暮らしていた」と紹介し、これらの外国人が能力を発揮して自由に暮らせる雰囲気があった−と伝えた。なお戦国時代の侍の中で、外国人としては朝鮮人が最も多かったと記録されている。
CNNの報道を引用しての信長の家臣で在った黒人の「弥介」を、朝鮮日報は取り上げた。
ハリウッドでも話題に成ったと云う事で此れを論ったが、記事の最後に大嘘を紛れ込ませてるのには呆れ果てて開いた口が塞がらない。
安土桃山時代に朝鮮人の侍が外国人の中では多かったと云う下りで在る。
三国時代の朝鮮半島の人々が侍で在ったなんぞ初耳で在る。
当時の我が国では渡来人は多く確認されてたが、此の中に外国人の侍の存在なぞ聞いた事も無い。
posted by 天野☆翔 at 16:10 | Comment(0) | International | 更新情報をチェックする
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